雑多拾いもん

捨てる神あれば拾う神あり… 「博多通りもん」ならぬ、雑多な「拾いもん」について備忘録がてら綴っています。

おもひでぽろぽろ

今日は久しぶりのヒスイ拾いにやってきました。

天気も良く、波も穏やか…

…穏やか過ぎて、全く石が動いていませんでした。

夏場は波の穏やかな日が続く為、どうしても見つかるヒスイのサイズは小さく、また数も少なくなってしまう傾向があります。

宮崎〜須沢まで一通り見てみましたが、あまり芳しい結果は得られず、親不知海岸で10g前後の小さめなヒスイをいくつか見つけただけとなりました。

f:id:cetriolo:20220425003410j:image(全体的に地味で小ぶり)

なお、親不知海岸で女性ハンターさんから「この中にヒスイがあるかどうか見てもらえませんか?」と声をかけられました。その方はテレビでヒスイ拾いが特集されているのを見て自分もやってみたくなり、今日初めて遠路遥々チャレンジしに来たとの事。

見るとバケツの中に、沢山の白い石。一つ一つ丁寧に確認しましたが、どれも石英曹長岩・ロジン岩…残念ながらヒスイは有りませんでした(自分も拾い始めの頃は全然違いがわからなかったので、気持ちはよく分かります)。

結果を告げるとがっくりされていたので、拾う際の参考になるかも…と今日拾ったヒスイをプレゼントしました。

さて、まだ日も高いけれど、この後どうしよう…。

帰るかまだヒスイ拾いを続けるか迷っていた時に、いつも通り過ぎる時に気になっていた看板を思い出しました。

…親不知コミュニティロード

調べると、整備された遊歩道で、途中に大正時代のレンガトンネルもあるらしいので早速行ってみることに。

親不知観光ホテル側に遊歩道専用の駐車場があるので車を停め、遊歩道を歩いて行きます。

坂を5分程度下っていくと、レンガトンネルがありました。

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中は冷んやりしています。

f:id:cetriolo:20220425010514j:image(入り口に懐中電灯があり、持って反対側まで歩く事が出来ます)

ただ、かなり暗く、観光客が歩いている気配がありません。もし今、日本刀とか持ったヤバい人に出会っても、こちらの装備は「ひのきのぼう」ならぬ「ひすいぼう」しかないのでちょっと攻撃力に不安があると感じ、今回は途中までの散策としました。

さらに階段を降りていくと…

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プライベート感のある海岸に到着しました。

f:id:cetriolo:20220425011931j:image(天険海岸、この海岸にも稀にヒスイが打ち上がるそう)

松尾芭蕉も通ったというこの海岸。不思議なことに、この海岸の石は赤茶色の石ころが多く、他の糸魚川周辺の海岸とは雰囲気が異なります。この赤茶色の岩は鉄を含んだ安山岩?よく分かりませんが、多分この周辺の岩が流れ着いたものでしょう。

ついつい糸魚川に来るとヒスイばかり探してしまうので、観光地を散策したのは始めてです。

かつて北陸最大の通行の難所と呼ばれ、多くの人達が断崖絶壁と日本海の激しい波に行手を阻まれた場所…なんですが、自分が親不知という地名を知ったのは中学生時代の合唱コンクール。自分のクラスが合唱コンクールで歌う事になったその曲名こそ「親知らず子知らず」。

親子が波にさらわれて命を落とすという歌詞の合唱曲。何故我がクラスはこの暗〜く悲しい曲を選曲したのか…確か投票だったような気がしますが、あまり記憶にありません。さらに自分はこの曲の指揮者になっていましたが、キングクリムゾンでも喰らったのか、その過程もまるで覚えていません。

当時はどこの県にあるとも知らず(むしろ九州あたりにあると思っていた)、何だか日本昔ばなし的な悲しい逸話のあるヤバい場所…という理解でしたが、まさか自分が大人になって頻繁に訪れる場所になるとは…。ちなみに歌詞に出てくる苔むした地蔵というのは何処にあるのでしょうか?見つける事は出来ませんでした。

青空と木々の緑が美しい中、天険海岸にて松尾芭蕉や当時の人々に思いを馳せるのではなく、ただただ中学生時代の自分を色々思い出して鬱屈としたのでした。